『皇帝』ナポレオンとファッションの歴史
今回の記事は、ちょっとマニアックな内容を含む、中級者以上向けの記事です。
ファッション史を勉強していると、必ず出てくるであろう言わずと知れたある『英雄』がいます。それが、かの有名な『ナポレオン・ボナパルト』です。
何故、彼はこんなにもファッション史に出てくるのか。
この記事では、彼の功績を追いながら、ファッションとの関わりついて迫ってみようと思います。
『皇帝』ナポレオンとは
ナポレオンは、革命期のフランスの皇帝・革命家である。ナポレオン1世(フランス語: Napoléon、在位:1804年 – 1814年、1815年)としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。
出典:Wikipediaより
ナポレオンジャケットの正体
あなたは『ナポレオンジャケット』と聞いてどんなものを思い浮かべますか?
実際に、ナポレオンが当時着ていたものを見てみると『ナポレオンカラー(襟型の一つで、立てて折り返した上襟に幅広の下襟がついたもの)』にフロントの両側には複数のボタンや『プレード』と呼ばれる、紐などの装飾的なデザインが特徴です。
そもそも、ナポレオンが着ていたジャケットはポーランドの騎兵軍服が由来と言われています。
彼らの軍服は上襟が詰め襟、下襟は左右に折り返せる程大きな襟、中央に隠しボタンというスタイルでした。
様々な軍服のデザインの由来になったであろう『肋骨服』も、このナポレオンが流行らせたものです。
また特徴的なものの例として、ナポレオンの肖像画を見ると、肩には金色の『肩章(エポレット)』が飾られています。
ナポレオン時代のフランス軍が、世界的にこのエポレットを流行らせたようですが、これはナポレオン時代に急に現れたものではなく、遥か昔から、男が戦場で少しでも強そうに見えるため工夫した結果、生まれたものであり、このようなと肩章が飾られるようになったと言われています。
現代の私たちが呼ぶ、ナポレオンジャケットとは、実際にナポレオンが着ていたもののレプリカというよりは、ナポレオンが当時着ていた軍服のディテールを踏襲した、ナポレオン風デザインのジャケットのことを『ナポレオンジャケット』と呼んでいるわけですね。
ナポレオンと袖口ボタン
諸説ある話ではありますが、ナポレオンが寒いロシアに遠征した際に、兵隊が軍服の袖で鼻水をすすっていたのを見た彼は、これをやめさせるために、袖口にボタンをつけさせたという逸話があり、袖口のボタンはナポレオン考案とされる説があります。
しかし、袖口にボタンをつけ始めた歴史はもっと古く、14世紀頃には見られていたようです。
つまり、実際にはナポレオンが考案したという説は薄いということです。
しかしながら、ナポレオンの着こなしはとても面白いものがあり、彼はどの肖像画を見ても袖口のボタンが一つだけ外れています。もちろん敢えてやっているものであり、お洒落としてやっているものでしょう。
現代で言うところの『本切羽本開き』の仕様です。(自己満と言われればそれまでですが、袖口に軽快さが出ていいんですよね。)
ナポレオンが袖口ボタンを考案したという可能性は低いですが、袖口のお洒落に気を使っていたということは、間違いのない事実と言えるはずです。
ナポレオンの二角帽
ナポレオンのというと、あの特徴的な帽子というイメージも強いのではないでしょうか。
『二角帽』というものです。これは、左右に角がある三日月型の帽子で、ナポレオンが愛用していたのは間違いない事実ですが、何もナポレオンだけが被っていたものではありません。
それ以前の主流は、もうひとつ角がある『三角帽』でした。
しかしながら、銃を扱う事を考えると、三角帽の前方に突き出したひさし部分が、銃を構えた際に邪魔になるわけです。
それを無くしたのが、二角帽。この二角帽は銃撃の利便性から生まれたものにも関わらず『将校帽』とも呼ばれ、その後も貴族のアイテムとして普及していきます。
まとめ:『皇帝』ナポレオンとファッションの歴史
『皇帝』ナポレオン。
彼自身のお洒落に対する意識や興味は、非常に高く、肖像画などを見ても伺えます。彼が今日のファッションに与えた影響というのはとても大きく、その影響は現代のファッションデザインにも名前が残るほどです。
時の権力者である彼の意識が高かったからこそ、現代のファッションが存在しているといっても過言ではないのでしょうか。
本日はここまで。
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